【深イイうなぎの話】うなぎの4大生産地、気になる1位は?
「うなぎ」と聞いて思い浮かべるのは、静岡? 愛知? それとも九州?
実は、日本各地には知られざる“うなぎ名産地”が数多くあります。本記事では、うなぎ愛好家・高城久さんが、全国の主要なうなぎ生産地とその魅力を紹介。特に注目のエリアについて、その秘密に迫ります。うなぎの奥深い世界を一緒に覗いてみませんか?
その1:「うなぎといえば……」でイメージするのが、静岡県?
うなぎの養殖生産量1位の都道府県は、どこでしょう?
この質問をすると、多くの方が静岡県と答えます。そう答えるのは無理もありません。それには、納得の理由があるのです。
浜名湖名物うなぎ
江戸時代後期に出版された弥次さん喜多さんの珍道中を描いた『東海道中膝栗毛』には「かの弥次郎兵衛きた八、これを打(うち)わたりて、あら井の駅に支度とゝのへ、名物のかばやきに腹をふくらし、休みいたる」とあり、荒井宿(浜名湖西岸に面した現在の湖西市新居)でうなぎの蒲焼を腹いっぱい食べた様子が描かれています。
また、歌川広重の浮世絵『東海道五十三図会』にも「荒井名ぶつ 蒲焼」とあり、当時から浜名湖のうなぎが名物として知られていたかがわかります。
うなぎ養殖発祥の地・浜名湖
明治12年(1879年)、東京・深川で初めてうなぎの養殖を試みた服部倉治郎は、汽車の車窓から浜名湖を眺めたとき、うなぎの養殖に最適な場所だと確信し、この地に養鰻場をつくることを決意します。
明治33年(1900年)、倉次郎は、現在の浜松市西区舞阪町につくった養鰻池でクロコ(うなぎの幼魚)からの養殖に成功します。当時しては、画期的な養殖方法の成功を目にした人たちが後に続き、浜名湖が養鰻の地としてその地位を確立したのです。
服部倉次郎が浜名湖に目をつけた主な理由は
うなぎの稚魚が捕れる
良質で豊富な水源
温暖な気候
平坦で広い土地
があげられます。これらは、現在も養鰻が盛んな地域にも当てはまる条件です。
昭和40年代、うなぎ生産量全国シェア7割を占めた静岡県
大正に入ると、大井川河口域の吉田町・大井川町(現焼津市)でも養鰻が盛んになります。この地域は、南アルプスを源流とする大井川の良質で豊富な地下水があり、うなぎの飼料となる新鮮な小魚が近くの焼津港でたくさん水揚げされていたと、良質なうなぎを育てる環境が整っていました。
戦時中には餌が統制され養鰻そのものが困難な時期もありましたが、戦後、再び養鰻業が盛んに。
昭和46年(1971年)、村松啓次郎が卵から孵化してまもない稚魚(シラスウナギ)から育てる養殖方法を確立し、この養殖方法が日本各地に広まり、うなぎの生産量を大幅に増やしました。
静岡県は、東京・大阪という大消費地の中間に位置する交通の利便性もあり、昭和40年代には国シェア7割を占め、多くの方に「うなぎといえば静岡」という認識が広まりました。
令和4年(2022年)統計資料(日本養鰻漁業協同組合連合会より)では、静岡県のうなぎ生産量は2,365トンで第4位です。
その2:市町村単位のうなぎ生産量第1位は愛知県西尾市
発展のきっかけは伊勢湾台風
愛知県の養鰻が急速に発展したのは、昭和34年(1959年)の「伊勢湾台風」がきっかけ。三河湾周辺の水田が壊滅的な打撃を受け、これを機に水田事業からうなぎ養殖へ基幹産業の転換が図られました。昭和36年(1961年)全国的にも珍しい河川水を利用した養鰻専用水道の敷設や配合飼料の開発が発展させる要因となりました。さらに昭和40年代中旬から普及したハウス加温養殖によって効率の良い養鰻が可能になったことも発展に拍車をかけたんです。
こうして、愛知県は昭和58年(1983年)生産量全国トップに立ちました。中でも愛知県うなぎ生産量の約7割を占める西尾市は、昭和58年(1983年)から現在まで市町村単位うなぎ生産量全国1位を誇っています。
三河一色産うなぎ
養鰻専用水道は、矢作古川の清浄な河川水を養鰻用水として利用することで、うなぎが本来生息している天然河川により近い環境で育てることを可能にしました。また、ハウス加温養殖の恩恵により池入れから約半年ほどで育てることも可能になりました。三河一色産の活鰻(生きたうなぎ)は飼育期間が短いので柔らかく皮が薄く、うなぎ職人が裂きやすいうなぎです。このことは、夏の土用の丑の日をピークにした大量にうなぎを裂く繁忙期には職人にとって大きなメリットです。さらにこのことで、多くの方が夏のうなぎに持つ「柔らかくとろける」というイメージが定着しました。
令和4年(2022年)統計資料(日本養鰻漁業協同組合連合会より)では、愛知県のうなぎ生産量は4,205トンで第2位です。
その3:安心・安全を支え、独自の養鰻を行う宮崎県
昭和30年代後半からシラスウナギの捕れる場所が静岡・愛知・三重から大分・宮崎・熊本・鹿児島・長崎といった九州地方に移っていきます。それに伴って、九州地方でうなぎ養殖が盛んになっていきます。そのひとつが宮崎県です。
独自の養鰻方法「宮崎方式」とは?
宮崎には「宮崎方式」と呼ばれる独自の養鰻方法があります。養殖池の底に砂利を敷き、生物ろ過機能を活用したバクテリア処理を行うことで、水質を維持しストレスの少ない環境を実現しています。また、出荷後の池は天日干しによる徹底的な消毒を行い、飼育環境の衛生を保つことに注力しています。これにより、全国的にも評価の高い高品質な養殖うなぎが生産されています。これらの技術革新が宮崎の養鰻業の生産性と品質を支えています。
また、宮崎県水産物ブランド品に認定され「宮崎うなぎ」の特徴は、「宮崎方式」を活用した養殖方法や養殖に使用されるシラスウナギを宮崎県内で確保し、一貫して飼育することで、「安全・安心」で高品質なうなぎを育てていることです。
宮崎の養鰻を支える地元企業
宮崎県の養殖うなぎ産業を支えているのは、地元企業の存在です。養鰻場へ必要な設備や飼料を供給する企業は、宮崎県内で長年の経験をもとに高品質なサービスを提供しています。特に、宮崎方式の導入を支える技術的なサポートや、無薬飼育を可能にする専用飼料の開発など、地元企業の役割は非常に重要です。また、これらの企業は地域住民との協力体制を強化し、産業全体の生産性を向上させる努力を続けています。
令和4年(2022年)統計資料(日本養鰻漁業協同組合連合会より)では、宮崎県のうなぎ生産量は3,574トンで第3位です。
その4:うなぎの生産量、気になる1位は……?
お待たせしました。うなぎ生産量、気になる1位は鹿児島県です!
令和4年(2022年)統計資料(日本養鰻漁業協同組合連合会より)では、7,858トンを生産し、国産うなぎの40%以上を占めています。鹿児島県のうなぎ生産量は、平成10年(1998年)に初めて1位になり、平成22年(2010年)から10年以上連続でトップを走っています。
温暖な気候と豊富な水源がもたらす好条件
鹿児島県が養殖に適している一因に、南国の温暖な気候があります。うなぎは水温の変化に敏感で、冬季でも暖かい気候を保つ地域が成育に適しています。さらに、鹿児島県は豊富で良質な地下水に恵まれています。
シラス台地には、自然のろ過機能があり、清浄な地下水として蓄えられており、いくつものメーカーがミネラルウォーターとして販売しているように人間が飲める高い水質を誇り、養殖池でも使用されています。また、広大な土地を活用できる点も、鹿児島がうなぎ養殖業で優位性を持つ条件の一つといえるでしょう。
先進的な養殖技術
鹿児島では、コンピュータ制御による水温、水位、水質の24時間管理をいち早く取り入れました。ストレスを大幅に軽減し、病気の予防にもつながります。2005年には志布志市の養鰻場が国内で初めて無投薬養殖に成功しました。それ以来、多くの養鰻業者が低投薬や無投薬に取り組み、環境に優しい生産プロセスを追求しています。
また、高濃度酸素水の活用により養鰻池の水中に酸素を効率よく供給することで、うなぎのストレスを軽減し、成長速度を向上させいます。
うなぎ王国・大崎町
市町村単位の生産量2位の志布志市と3位の大崎町のある大隅地区は、鹿児島県の中でも重要な地位にあります。人口1万2千人の大崎町が全国3位の生産量を誇るのは、特筆すべき点です。豊かな自然環境を活かし、無投薬飼料や自然素材を積極的に使用した養殖を行っています。
私は『読めばもっとおいしくなる うなぎ大全』の取材で、大崎町の養鰻場を訪ねました。そこで見たのは、わが子を育てるように愛情深くうなぎを育てる様子です。無投薬を可能にする一端が理解出来ました。
環境への影響を最小限に抑えた養殖方法により、安心して食べられるうなぎを生産している大崎町。臭みがなく、身がやわらかで、旨みと脂のリが良いうなぎは、どのような調理方法でも美味しいと評判です。
うなぎの鮮度や風味は、池揚げから加工までの時間が大きく影響します。養鰻場から加工施設までの距離が近い立地が高品質のうなぎ加工品を生産する理由です。大崎町のうなぎが、贈答品として高い評価を受けるのも頷けます。